2015年4月2日木曜日

書籍『ピクサー流 創造のちから』『ジョナサン・アイブ』など。

 各界でずいぶんと話題の2冊。『ピクサー流 …』は興味深い本だった。
いかにして新興IT企業として生き残るか?の答えとも言えるかもしれない。
また『ジョナサン・アイブ』しかり。

 結局、いかにして「祭り」を執り行うかに尽きるのではないか?というのが最近の自分の結論になりつつあって、「祭り」のためには入念な準備と速さと適切なタイミングと……という話かと。
結局、それをマズると例えば太平洋戦争のような気まずい「祭り」になってしまうのじゃないか。
アップルの新製品発表なんてあれ「祭り」だよな。
 じゃぁ、IBMとかどうなってんだよ?と言われるとよくわからないのが正直なんだけど。

で、まずそれがあってピクサーの「ブレイントラスト」とか「失敗を歓迎せよ」という各論に入っていくのだろう。

『ジョナサン・アイブ』では、ジョブズ復帰前後のアップルの様子がなかなか生々しく(?)描かれていてアップルが復活したのはジョブズだけの、またはアイブだけの功績でなく様々な人々の錯綜や努力があって、成ったというのがわかる。しかし、でもジョブズがいなかったらやっぱりアップルはダメだったろう、と。人間というのはどうしても「リーダーシップ」を欲してしまうのだろう。

あと『ジョナサン・アイブ』に書かれていることで、「ほぉ」と思ったことが実は「ダサいプロダクト」は常に「エンジニア」が引き起こす…らしいのだ。
自分も一時ゲーム業界にいたことがあるのだが、ちょっと思い当たる。
その「エンジニア」の不満を封じ込めて「無理」を通したプロダクトが「iMac」であると。
デザイナーが考えた製品の「ストーリー」を実現するためにエンジニアリングがあると。

ちなみに「エンジニア」がダメと言ってるのではなく、これはたとえば自分が担当していたグラフィックに関しても言える。
ダサいグラフィックで押し通そうといするグラフィッカーに対して企画が「無理」を通して良いグラフィックができる、とも言える。
要するに「一人」ではダメなのだということなのじゃないか、とも言えるし厳格なリーダーシップが必要とも言えるということか。

技術力は間違いなくあって、かなり「良い物」を作ってるが「ダサいプロダクト」のいい例がGoogleのアンドロイドOSとかトヨタの車だろう。確かに良い物だが、ダサい、きわめてダサい。
特にトヨタ。テスラSと比較して、クラウンのダサさは一体どうしたことかと思う。
Googleもいろいろ出来るけど、結局一貫した思想のようなものが無いから便利ではあるけど使いにくかったりする。が技術が突出してるから、そこから離れられないサービスが多いといったところか。トヨタの「壊れないから、燃費がいいから」みたいな感じかと。

で、今Googleはいろんなプロジェクトを行っているがロボット開発に関しては結局「決めの一手」となる商品は作れないのじゃないか。
東大ベンチャー「シャフト」を買収したりしたものの、それらしいものは作ってはくるしすごい技術力だが「これだ、これが欲しかったんだ!」とユーザーに言わせるものはできないのじゃないか?

それはエンジニアばかりでデザイナーの不在が引き起こす事態なのじゃないかと思う。
自動運転技術開発をないがしろにして一生懸命、水素革命にいそしむトヨタは間違いなく技術先行にすぎるし、ユーザーのストーリーを無視したプロダクトで、Googleやその他欧米が手を付けて「ファン・トゥ・ドライブの精神にそむくので気が向かないが」などと言いながら手を付けているこの極めてダサい現状。ソフトウェアが世界を変えることに気づけない「お年寄り」たちのせいで、なにもかもが出遅れていくような気がしてならない。

話は戻るが、いまホビーロボットが全盛…のようだ。
ネットを徘徊していると各所でホビーロボの発売の話題で満載だ。
これを見ていると「iPod」出現前のMP3プレイヤー市場を思い出す。
あれこれといろんな製品が出てくるがどれも決定打になりえなかったあの頃。
自分も曲をたくさん入れて車でいかにして聞くかずいぶん腐心したものだ。

いずれどこかが「決定打」を出してくるだろう。
それがどこか今楽しみにしてはいるのだが、まぁ、当面出てこないかもな、とも思っている。
ある程度の青写真みたいなものは自分の頭のなかにあるが、別にいまの現状ただのフリーターなので(いい年して)影響を与えることはできないだろう。