2014年11月20日木曜日

近況

英語学習はかれこれ英文解釈の本を2冊ほど読破したところ。
どれも結局は法則の積み重ねで、なかなかにしんどかった。
しかし、伊藤和夫の『英文解釈教室』は理解できたとはいえないが、
読破したことで、なんとなく解釈のノリみたいなのは身についた感じがする。
これをもっと推し進めたいのだが、どうもそういうわけにもいかない。

問題の経済的状況だが、どうも泣きっ面に蜂状態がいくつか続いている。
本業のPCサポートがいくつかの店の閉店によって激減してしまった。
そもそもはWindows8の売れ行きが悪いのが原因だが、消費税アップ後の
消費萎縮でやられてしまったらしい。
バイトなどをやったりはしているが、本格的な収入に繋がらないしで、
いよいよ厳しい状態に突入しそうだ。
とはいえ、今のところWindows10の発売によるパソコン売れ行きアップを期待するだけしか方策がない。参った。

いま、仕事を探していてちょっと困るな…と思うのが、どうにも一人の人員に対して過剰な労働力を期待する会社の体質だ。
まぁ、仕事があるだけマシなんだろうけど、人それぞれ事情があるのだから…とも思う。

で、3DCG、英語、プログラミングとこの3本の柱で自己研鑚(笑)をしてきたのだが、どれも中途半端な状態。

3DCGは来るべき3Dプリントに備えてのことだし、そもそも自分の場合はZ-Brushで造形美の
追求をしようというわけではない(したいけど)ので取り急ぎ、諦めた。
必要に応じてメタセコイアで鋳造用のワックスパターンが作れればそれでいいということにしておく。本当に英語だけは学校に行ってでも、なんとかしたいところだが洋書を読むなどして日常の生活に繰り込んで行くしかないというところか。

で、問題はプログラミングだ。これだけはなんとかしたいところ。
故あって、簡単なフィルタリングのプログラムを作る目的があるのだが、ここのところ英語の勉強ばかりルーチン化してしまったので、まったく手付かずになってしまっている。
CSVからデータを取り出して二次元配列にして、条件に合うデータを引っ張りだすだけ、というものなのだが(競馬ソフトじゃないよ 笑)。

素体プロジェクトは環境を整えないと、かなり難しいような気がする。
自宅でできることは、ノートと教科書をひろげて、勉強することぐらいだ。
何かうまい手を探しているのだが…。

2014年10月25日土曜日

近況など。

自分のブログを読み直してみたが、身の程知らずな世間評を書いてて呆れたが、
間違ってはいないよな、と。
愚痴ばっかり言ってもしょうがないので、現在の抱える問題など考えてみよう。
何しろ金が無い。
特にホームレスになりそうには無いが、まるで生きていくことができるだけ、という状態。
英語の勉強だけは継続できているが、その他の件はまったく事態が動かずで困り果てる。
英語学習は結局、英文解釈をある程度理解しないと、ということで参考書を何冊か読んでいるところ。なんとなく文の追っかけ方は、わかってきたが、こういう意味!とはっきりわかるところまではいかないようだ。
 「和訳をやめて英語で考える」と言われるが日常的に英語に触れる機会が無い世界にいるので、やっぱり、この方法で英文解釈できるようににじり寄るしか無いと思う。

その他、プログラミングやCG、素体計画に至っては完全な頓挫状態。
やっとこ、英語学習を10p/dayやるのがせいぜいだ。

CGはもともと、3Dプリンティングのためというのがあるのだが、いずれにしてもあれこれアプローチするのにお金が何かとかかる。鋳造環境の準備もままならず。
なんとか環境を整えたいのだが、自宅ではどうにも難しい。
やはり、環境が欲しい。
この一言につきる。
日銭を稼ぐために、無駄な仕事などしてるヒマなど無いのに。
悔しいといったらない。
今年は前半は体調不良で、後半は近隣トラブル、経済面で悩んでるうちに終わりそうだ。
実に悔しい。

2014年8月16日土曜日

沈む舟にのっていればやはり自分も沈むのかもしれない。

 大石哲之氏という、ツイッターの発言でちょっと注目してる人がいる。
詳しいことはわからないが経済に明るく、なるほどと思う発言が多い。
その人によれば日本が再び「力」を取り戻すのは2030年あたりなのじゃないか、古い人達が死んで人材が入れ替わらないとムリなのじゃないかと言っていた。つまり財政破綻もしくは戦争等の大きなカタストロフがあって、それから後に良くなるのだという。
自分は底辺層の人間なので、しかとはわからないが確かにその通りかもしれないと思う。今の日本はまるで人を見張って、失敗して転ぶのを喜んで見ているような世相だ。価値を創出しようとしてもどこからか誰かが足を引っ張り、たちまちのうちに「芽」が消えてしまう。

 現在、近所に住む精神障害者をめぐって「人権」だの「個人情報保護」だの二言目にはそんな単語を聞かされる毎日で、こんなことに足を取られていたら何も出来ないじゃないかと憤る事が多い。
あまりに「弱者」気を取られすぎなのじゃないか、と思う。
これではまるで100mを9秒で走ることのできる人間が車いすを押すためにトラックでのろのろ歩いてるようなものだ。

 確かにアメリカの貧富の差は深刻だと思うが日本みたいにみんな一斉に貧しくなっていってはどうしようもないだろう。
今だとベトナムあたりに行けば、安い物価でなかなかの暮らしができるのだという。
経済も上向きで人々の気持ちも明るいらしく、そっちに行けたらどんなにかいいだろうと夢想する。
無論不自由なことも多いだろうが。
とはいえ、親の面倒もあるし、猫もいる。猫は連れていけるかもしれないが、年老いた親はさすがにムリだろう。

 無論、諦めているわけではないがみんなで溺れていく舟に乗っていて自分だけなんとか助かろうというはさすがに難しそうだとちょっと暗澹としてきたところだ。

 それにしても近隣の精神障害者の23歳の女性だが、考えてもみればなんとも哀れだ。
幻聴にとらわれて、ひたすら向かいの家に向かってあらぬ罵詈雑言を繰り返す姿は滑稽を通り越してナショナリズムに脳を侵された日本人のようだ。こんな人間が出来ることは、ひたすら周囲の人間に迷惑をかけ続けることだけという。人権も結構だが、治療するなり、することをしてから主張してもらいたいと思う。

2014年8月9日土曜日

すっきりした。その他、近況。

 先ほどTwitterを眺めてて読んだ>竹内健という人のブログ。要するに頭悪い年寄りによって日本がダメになったと。まったくの同意。中島聡氏も「価値の創出」を怠ってきた結果という。

 かれこれ20年以上前からバカなりに「何か新しいモノを創りだしてやろう」と思って挫折してきた自分としては(非力だったが)「やっぱりな」と苦笑せざるを得ない。
前述のブログで竹内氏は「盛り上がるシリコンバレーにいると日本でなにかやっているのがバカバカしくなる」と書いている。日本にいると本当に何もかもが意気消沈していくような。他人の足を引っ張り合っているような、そんな雰囲気しか感じない。
世代が変わらないともうムリなのかも。
が、その世代が少子化でいるのかいないのか。
新しく移民政策で入ってくる人たちが起こすイノベーションに期待するしかないか。

 さて愚痴はおいといて近況だが。ようやく申告が終わってすっきりした。
無論期限が過ぎてしまったので、65万円控除が無いとか延滞金が発生などいろいろあるが、終われば良しだ。とにかく手をつけるのもイヤだったのだ。それを考えれば7,8万円の出費など別になんということはない。
 案外に大変だった。正直、自分のやってる商売だけの収入であればよっぽど簡単だったのだが、ちょっと他の件が混ざって面倒になってしまったのだが、青色申告会に入会してたのでほぼ面倒なところは片付けてもらったのが実際だ。
が、要領はわかったし、来年は気軽に終われると思う。青色申告会サマサマだ。年間2万円弱の会費であれだけやってくれるのだからありがたいかもな。とはいえ税務署の派生団体みたいなものだから素直に喜んでる場合じゃないのだろうけど。民商などの選択肢もあったのだろうが、それもおいおいだな。
 
 しかし、青色申告会は指導員に若い女性を使う…しかもちょっとチャラいの、あれやめてもらえないかな。極普通に話のできる人間にして欲しいのだが。別に無能とか有能とかではなく、ああいう女性はどこがコミュニケーションの境界線なのかがわからなくて話していて疲れるのだ。

 で……だ。
はやりのゲームではないが「進捗」がまったく見られなくて困っているのが現状。
どう打開していいのかさえ思い浮かばない。おまけにそろそろ金策を考えなければという状態なので余計に考えがまわらない。
 こういった作戦を取っていくしか無いのかという気もする。
「もはや計画は不要になった」 MITメディアラボ・伊藤穰一氏が語る、"インターネット後の世界"と"新しい原理" | ログミー[o_O]
ただ、この方法だと儲けが出すことが難しいのじゃないか、また利益配分とか……などと、考えてしまうのも確か。
 だが、今の自分の非力さではこの方法をとらざるを得ないのかとも。
発信場所はDeviantArtとかでやっていくのがいいのかもしれない。
今の日本では「何かを提案」することが大変なリスクのような気がしてならない。

2014年8月6日水曜日

英語試験おわる。

 8月に入っていよいよ暑い日々がやってきてうんざりするが、夏が終わる時の一抹の寂しさはなんだろう?と思ったり。
 で、先日、放送大学の英語科目4科目の試験を終えた。出来はさすがに講義を何回も聴いた『英語の軌跡をたどる旅』の出来は上々だったが、単純に文の内容を覚えてるというだけで英語の勉強になってるかといえば???な感じ。
基礎科目の文法、発音の試験はほとんど学習しなかったのだが意外に難しくて冷や汗をかいた。
が、これが出来たから英語ができるかどうか?は疑問かと。
 英語の記事などを「見て」いると知らない単語がたくさんあって、うむむと唸ってしまうし、やっぱり難しい。もっと英文を読んだり聴いたりすることに時間をかけないといけないのだろうけど、そうとなるとやっぱり「現地」に行かないと、ということか。英語堪能のメンターたちはやっぱりなんだかんだ言ってて本場に行ってるもんなぁ。
現実問題、年齢のこともあるし親の面倒やらで東南アジアですら行くのも難しい。
ま、そうは言ってても始まらないので、日々できることをできるようにやっていくしかないだろう。

 経済的な問題も出てきたので、結局歯科技工の資格を活かした仕事をするしかないか…などと思い始めているところであるが、今回は別に技工を学ぶつもりもないし滅私奉公するつもりもない。ドライな態度で求職するつもりなので、そうなると仕事があるかどうか…笑。

 で、どうも試験が終わったせいか気が緩んかして何かとはかばかしくない。
経済的な不安もあるので、何かをやろうという気も失せる。
なるほど、貧乏していると何にも投資できずに貧困のスパイラルが続くとはよく言ったものだ。

となりに住む、精神病患者の問題もあったりで、どうにもね。

2014年7月26日土曜日

英語学習について。

 相変わらず隣アパートの統合失調症患者に悩まされる日々。病人、本人よりもこれによって周囲のいろんな反応が本来の人間性を顕してくるのが興味深い。病人の両親、大家、不動産など。
誰もが面倒事を避けたくてしょうがないのが見えてくる。
 よく爆撃を受けて逃れて生き残った人々が周囲の人たちを助けられずに見捨てて来たことに罪悪感を抱くという話を聞くが、災いありて人間性見える…というようなことが起きてるのが面白くもある。

 さて英語学習を始めてかれこれ1年弱。密度は甚だ薄いが、それでも毎日勉強するようになった。最初は放送大学の週2回の講義の時間だけ。それを復習するようになってだんだん勉強のくせがついてきた感じ。
 学習効果としては、以前に比べると英文を読むことにかなり抵抗はなくなったものの、ちょっとした長文になるとくじける。
例えばこれだ。
All of them knew it and yet behind the obedient honeycoloured Latinate walls of Oxford coleeges,the medieval equivalent of the subversive samizdat press which bypassed Stalin's controls in Russia was organaised,and effectively.
などとやられるとたちまちに迷子になってしまい続く文章に身が入らなくなる。
文章を読むコツについてはわからなくても読み進めてしまい、全体でなんとなく理解するというのがあるし、言われてみれば日本語でもすべての単語の意味がわかってるわけでもないし、主語と述語を間違いなく把握してるわけでもない。
洋書案内の傑作『洋書ベスト500』でも同じことが書いてある。
ところが聞いてみるのとやってみるのとじゃ大きく違って、これがなかなか。
読み下せなかった文章はいつまでも心にひっかかり、先の文章を読み続けても上の空になってしまうという。
 で、対処としてはやはり最初から文章だけの本を読むのは難しいのであって子供が文を読めるように絵本から始めて、徐々に長文に慣らしていくものなのだそうだ。
で、実践してみて子供向けの絵本をちょっと読んでみたら確かに内容はわかる(あたりまえか)が、さすがに大人としては読んでてつらいものがある。
で、 ふと思ってずいぶん昔に一生懸命集めていた海外のビジュアルノベルを読んでみたらこれが割りといけるのを発見した。内容は大人向け(色んな意味で 笑)だし、文意を見失ってもそこは漫画なので、なんとなくわかる、という仕組み。

 ここからまた根本的な問題なのだが、実は英語の勉強をしている場合でないのも確かで、モデリングはやってないしプログラミングの勉強もおろそかになっている。
えてしてそれた脇道が楽しいのは人生の常なのだが、このままではただの勉強好きのおじさんになってしまう。
なんとか軌道修正をしないことにはと思うものの。

で、一応英語学習は本夏の放送大学の試験終了を期に一旦終了してあとは洋書などを読むことに限定していこうと思っている。その分をプログラミングと素体づくりに傾けていかなければ。
いや、プログラミングの勉強自体も止めておくべきなのかもしれない。
こういったところに迷いがあるのが、一人で考え一人でやっていくところの辛いところか。
かと言って誰かに助言してもらいたいわけでもないし。
迷っている間にいつの間に年齢を重ねてどうにもならなくなっている、という公算が大か。
みじめではあるが。

2014年7月20日日曜日

仕事の環境について。

はて、日々といえば、金ばかりが飛んでいきさすがに冷や汗が出始めたところ。
また日銭を稼ぐような事をしなければならないと思うと情けない気もするが、ま、慌てないでいこう。
なにしろ、ちょっと用事がたてこんであちこち回ると途端に疲弊する。
これなんだろうなぁ。これをおして動いてるとおそらくガンとかになるような気がしてならない。

それと隣家に統合失調症の患者が発生してそれの対処にもまわる。
あれやこれやと。23歳の若い女性だが、当人の親が高齢でさっぱり動かない。
困ったものだ。
関係機関には働きかけているし打つ手はうったのだが、どう収束していくのやら。

ふと昔の事を考えていて「働く環境」ってかなり大事だなぁ、と思った次第。
松井博氏の『僕がアップルで学んだ事』にあったのだが、言われてみればなるほど……という。
自分が働いてて、割りと長続きしたりある程度、形になったことって環境が割りと良かったのだよな。無論、良くてもよっぽど仕事の内容が合わない、ということもあったんだけど。

条件としてはいくつかあって
ひとつは面積だろうか。広いフロアに関係者が全員存在すること。
天井が高くある程度見晴らしがいいのも重要じゃないだろうか。
これが一軒家だったりマンションを借りていたり、ただ単純に狭かったりするとどうもいけない。
人が分断されることによって意思疎通が立ち行かなくなって、自分が何をやってるかわからなくなる。

あとデスクまわりかなぁ。
プライバシーはほどほど…だろう。立てば隣の人と話せるぐらいがいいんじゃないか。
建物は古い場合は歴史が積み重なってる感じのする建物ならいいが、単純に半端に古くて汚いだとNGだろう。
建物は新しいに越したことはないというところか。

窓に関しては外の気候を感じられるようなのがいいのじゃないか。
外の天気のわからないような部屋はいやかなぁ。

いずれにせよ、お金がかかるのは確か。
こういうところ、公的機関はもっと配慮してくれてもいいんじゃないかと思うんだが、不動産屋ばかりが儲かってどうする?という。

2014年6月25日水曜日

英語学習や受動歩行、日々のあれこれ。

 前項の家庭用ロボの外見で「スチュワーデス」ってのもありかと思ったんだけど、意外にそうでもなかった。
ちょっと違う感じ。やっぱりモーターショーやゲームショーのコンパニオンのような未来を感じるデザインがマッチするんじゃないかなぁ。無論バリエーションは多々あるとは思うけど。

英語学習だが、いわゆる「使える」状態までには3000時間を要するという。1日10時間で1年。5時間で2年、2.5時間で3年(まぁ、ざっくりだが)。正直どうやって英語に触れていたらいいのか、スカイプでフィリピン英会話がベストなような気もするけど必要性にかけると進まないよなぁ。
やはり当初の目的どおり洋書を地道に読むのがいいのだろうか。やはり何事も環境であると思う。

プログラミングの勉強もプロダクトにつなげるのは難しそうだし、マックを買ってアプリの開発とかしてみたらどうか、などと思うが投資ばかりしても、と迷うばかり。

よくある設問の1年の命だとしたら、やはり素体プロジェクトをすすめるのだと思う。
あれこれ手を出して、何も完成しないのじゃちょっとつらいかもなぁ。
そうでなくとも環境があまり良くないし。

さて先日、受動歩行についての記事を読んだのだが、かなりエキサイティングな内容だった。
人間の歩きは「ほぼ力が入らない」で動いているという。
腰を前に落下されるにつれて足が前に動いていって最終的に「一歩」が踏み出される。
そのさい、ほとんど筋肉の収縮はおこらず関節はフリーの状態であるという。
この動きを再現するにはやはりモーターではムリで人工筋肉の開発が急がれる。
というか、全てに優先させるべきかと。

果たしてGoogleのロボがどう出るか、楽しみではある。


2014年6月22日日曜日

ロボットに求められる外見

先日のソフトバンクのロボ発表は大変な労作だし好感を持ったのだけど
大概の人が「これじゃない」と思ったと思う。
おそらく求められてるのは下記のような画像かと。

モーターショー コンパニオンの検索

無論、フェミニン系からはブーイングだし、女性のセックスオブジェクト化がどうのと言われるのは確かだと思うが、じゃぁ、モーターショーのコンパニオン達はどうしてこういうものが求められるのか?
ということだと思う。やはり洗練された女性の偶像は人々、特に男性は求めているし、アンドロイドだかロボットを求めているのもこれまた男性なのだ。
おそらく近日中にグーグルやらどこやらから人型ロボのプレゼンテーションがあるとは思うが、こういった女性の偶像の究極形が出てきた時点で勝負が決まるような気がする。
 いや、もしかしたら永遠に出てこないまま洗練されないロビタのようなロボット、もしくはマイクロソフトのOSのようなさえないロボットが売られ続け、なんの喜びもなく使われ続けるのかもしれない。

 さて、近況にうつる。
体調はあれやこれや医者にかかったところ、どうやら落ち着いてきたような。
興奮すると頭がふらっとするのは、脈拍が早く血液が充分に脳にいってないせいではないかとの疑い。

そして例の計画だが完全に頓挫している。
どうも、あまりにも高い山に登ろうとしているような気分になってきた。
やはり、作業する場所が欲しい。

英語とプログラミングはとつとつと進めてはいるが、なにかプロダクトとして完成しそうな、大きな進展が見えたような感じはさっぱりない。独力だと集中する時間が作りにくい。30分メソッドは有効だが、何事も形になって「なにか」が見えてこないと継続も辛い。

2014年6月7日土曜日

体調不良続く、30分メソッド(笑)など。

 前回のポストが5月11日か。思うことはいろいろあれど体調復旧しないのが辛い。
どうもどこかに大きな故障があるのじゃないかと思っているのだがCT(脳)も異常なし、血液検査が2つ結果待ちだがこれといって何かありそうな雰囲気ではない。
目の不調は左目の角膜に傷がついてるとかでここのところの目の違和感はこれだったか、という具合だが、右膝関節の痛みだとか続く脱力感など。
 あと10年ほどは健康でいたいのだが、果たして大丈夫なのかどうか。

 それはともかく事は進めなければならないので英語、プログラム、3DCGの勉強だけはしている。
家にいると中々とりかかりにくいのだが、あれこれ考えたのが30分タイマーをかけてその時間だけは他の事をしない…という方法。
これは割りと効果があって、コツはさっさとタイマーをスタートさせてしまうこと。
そうしないと「コーヒーを入れてから」とか「トイレに行ってから」とか「ネットであれをチェックしてから」などと無限に引き伸ばす理由が出来てしまう。スタートをしてしまえば「勉強」をするしかないのだから。とはいえこんなことをしていられるのも健康であればこそ、なのでどうにか体調復旧させたいところではあるのだが。

 最近読んでる本で興味深いのがジョン・スカリー著『スカリー』だ。
1987年の本でジョブズがアップルをやめるときのアップルが詳細にかかれており、しかも今のジョブズの成功ありきの視点ではなく、ジョブズが完全なる邪魔者として描写されてるところがミソ。
マックの売上が落ちて会社が危機的状況にある状況下では致し方ないことだったがなんにせよハードな状況だったらしい。
 この時期はアップルⅡグループを率いてたウォズもかなり熱かったようでスカリーに冷遇されるアップルⅡグループでだいぶ怒っていたらしい。
いまでは完全なる好々爺のごとき様だが中々に信じられないものがある。
またこの1985年という時期はパーソナル・コンピューターに一体何をさせたらいいのか一般人としてはわからない…ということもネックだったようだ。
これは興味深い現象で今のパーソナル・ロボットにもあてはまる事態ではなかろうかと思っている。
先日のソフトバンクロボットもかなり頑張っているが、まだまだ先が見えてこない。
おそらく当時アップルにいたジャン=ルイ・ガセーが言うように「セクシーさ」が足りないと思う。
今のロボット開発に携わる人達にはそれは理解できない概念だろうな。きっと。

さて、こうブログを書いていてもどうも目がつらいような感じがある。まいったな。


2014年5月11日日曜日

【近況】体調不良と好景気と人手不足か。

 3月4月の多忙と腹筋やらスクワットをさぼっていたせいか、すっかり腰痛や右膝関節痛などがきてしまった。おまけに腸の具合よろしくなく断続的な便意や寒気。水便などあり。風邪?なのかもしれない。やれやれ。

 結局、英語の勉強だけはなんとか続いているという情けのない状態。
放送大学の英文読解と英文法、発音、の授業をとっているので週3日はなんらかの形で英語に触れており、英文読解は講義の時間(ってもネット講義)までに読み込んでおくという作業がある。おかげで英文読解はだいぶマシになってきたと思う。とはいえ長文になるとやっぱり怪しいが。
 どうもあれこれ、英語学習の話を聞いていると最初は絵本などの簡単な文章から、となるらしいけど、これがどうもしんどい。やってて馬鹿馬鹿しくなってしまうというか。が、放送大学の『英語圏の言語と文化』と『英語の軌跡をたどる旅』の講義はとりあげる文章が素晴らしく授業についていけなくても面白くて興味がつきなかった。井口篤という先生が作っているらしいのだが、この人は話も面白く相当に頭がいいと思った。

 で、もう一方の自分プロジェクトだが、これがさっぱり。
あれこれ考えはめぐるものの、手元にそれを実現する環境が揃っていないので1ミリたりとも進めることができないのだ。どこか技工所にでも場所が借りれればいいのだが、どうも目立つ性分らしくて人に気を使ってしまって本文がおろそかになるので、難しいだろう。何か良い手はないものか。などと悠長なことを言ってる場合でもない。そうこうしているうちに今年も半分が過ぎようとしているのdだ。

 新聞を読んでいると世間は好景気なのだそうで、不動産バブルやアメリカもITバブル2.0などということらしい。はじけると困るけど景気がいいのは良いことで、なんとかこのチャンスにひとつ形にしたいところだなぁ。

 あと人手不足だそうだ。牛丼屋など店が開けられないという。
牛丼屋にかぎらず、会社で働いてる人間は「人を使う」ということがわかっているのかどうか。
先年、会社訪問のまね事を何件かしたけど、わかってなさそうな人がゴロゴロしており、ちょっとね、という感じであった。
 たまたま先に「その仕事」をやってて覚えてるだけなのに、なにやら万能感にひたってる人間が多すぎる。こう書いてて気分がたちまち「しらけて」きたので、この話はやめておこう。

とりあえず今の問題は、
「環境」
というところか。
解決策は
1,自宅で整える、問題:細かい障害(設備投資など)が多い
2,どこか別の場所で問題:金がない、周囲の人々のノイズを除去できるか?


2014年4月27日日曜日

手描きが終焉したと思うこと。

 先日見た『アナと雪の女王』にはずいぶん感心したのだけど、もう手描きの漫画、アニメその他なんでもいいけど「お手軽」な手法に新味は残されてないと思った。
前回にも同じ事を描いたのだが、世界はデジタルという手法で新しい世界を切り開ききっており、そこで「昔ながらの」「伝統」の手法などを使ってても誰も見向きもしないだろうし、価値も生まれないだろう。無論、意味が無いとは思わないし作品として「ある」のは確かだし、もしかしたら後年「再発見」されることもあるとは思うが現世ではまず報われないであろうと思う。

 『アナと雪の女王』のキャラクターでは手書きでは追いつけない繊細な表現と力強さ、説得力が完全に備わっていてなおかつCGならではの氷や雪の美しい表現も加味されている。

 日本のアニメ業界も早く追いつかないと出遅れるばかりだろう。
とはいえ、相変わらず内向きの年寄りオタク向けコンテンツばかりがもてはやされる昨今、なにができるのかわからないけど。
 いわゆるオタク向けごたまぜイベントがやっているが内向き甚だしく、その代わりやたらと世界にむかっては攻撃的になってきている。具体的には書かないけど。
いまに精神的「爆縮」を起こしてしまうのじゃないかと。どんな形になるかわからないが。

 さて英語学習だが、やはり長文になると文意が掴めないことおびただしい。
さすがに途方に暮れなくもないのだが、やめるわけにもいかないのでなんとか続けたいと思っている。

 そして例の計画だが仕事が忙しいのもあいまってまったくの進捗ゼロだ。
時間配分の問題もあるが(英語学習ばかりに気がいってしまう)。

2014年4月22日火曜日

早いもので4月も下旬か。

 昨日『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』を見に行った。結論は見なくてもよかったような内容だった。演出ががんばっていたが、いかんせん話にエンジンがかからないまま。
しかし、アクションは見応えがあり、スカーレット・ヨハンソンの出だしの立ち回りにもグッとくるものがあった。女性というのはそこにいるだけで場が華やぐ。ただ「女」というだけで資源でありうることが、いまの女性の立場を難しくしているのだろう。自分の手にはあまる話なのでそれはここまで。

 消費税アップにもかかわらず人々の消費意欲は衰えることなく、まぁ、いいことなのだろうが、忙しいのが終わらなくてかなわない。早いところ申告をやっつけたいのだがタイミングが見えない。
65万円の控除どころではない、延滞金がかかってしまう。が、ただでさえ会計なんぞつまらないのに、申告会の担当の若い女性が大変にそりが合わないので余計に足が遠のくのだ。
文句を言うべきか、黙っているべきか……。

 関係の無い話なのだが最近はツイッターで作家の名前をつぶやいたりすると、エゴサーチで見つけてリプライを返してくれる作家さんが2人ほどいた。嬉しいけど、特にこちらは対話するほどの人間じゃないのでおそれ多くて返信もできないし、相手にとっても得るところはないだろう。
あくまでもこちらはお客さんなのだから、まじめに取り合っても仕方がないんじゃないかなぁ、とか。

 さて、進捗だが、困ったことにまったく、ゼロだ。
鋳造環境を整えようと思っていたがハードルが高いのでちょっと諦めかけている。
レジンでなんとかしたものか…。などと考えているのだが。
結局、レジンだと歪みが問題で、寸法精度のいい加熱レジンも今度は原型をワックスにしないといけないとかで中々考えがまとまらない。
どうしたものか。

 さて、あともう少ししたら時間に余裕ができると信じたいところだ。
それまでの辛抱というところか。


2014年4月12日土曜日

どうにもいけない。

 4月に入って暇になるかと思いきや、駆け込み需要の後は、後出し需要とでもいうのか、相変わらず忙しい。
 ところで放送大学で英語科目を勉強しているが、毎週かならず授業(放送だけど)があるのでわかろうがわかるまいが単元が進んでいく。
これが割りとありがたくて、事が運んでいってる気がする。試験で合格点に達するかどうかはともかく。いずれにせよ、単純な法則を学ぶよりも長文読解のほうが面白い勉強しがいがある。
NHK教育のバカバカしい英会話なんぞやってられるかというところ。
放送大学の英語科目のレベルを高めに設定した人の慧眼に恐れ入る。
とはいえ、なかなか英文読解はわかったようでいて訳文の正解を見ると案外わかっていなくて驚く。
いずれ英語に慣れることでしょう。アメリカ人はだれだって話してるんだから。

 それはともかく「計画」がすすまない。
理由は明らかで、
「設計→3Dプリント→鋳造」
という一連の工程、特に「鋳造」の工程が完成しないからだ。
実に困った。設備投資すればいいだけの話なのだが、なかなか一歩が踏み出せない。

無論、その工程が終わったあとにも未解決の問題が山積している。
思いつくだけでも
1,別部分の関節の構造
2,軟質素材について
3,軟質素材の強度
4,硬質部との結合
などなど。

本当に生きているうちに考えていることが実現できるのか気が遠くなる。




2014年4月7日月曜日

失意のゼロ年代

 最近、2000年前後の事をよく思い出す。
90年代後半になんだかうまく行かなくなって2000年を迎え、失意の時間を過ごすことになった。
が、決して楽しくなかったわけでなく気負いが無くなって気軽に生きていたのも確か。
仕事もしんどいわけでもなかったし、お金にすごく困ったわけでもなかったし、親しい人たちと映画を見たり、飯を食べたり。最近話題の『ヤンキー経済』の若者そのものの行動だったと思う。
夜に車でほんの近場へ遠出するのが楽しかったり。

それは実は今でも変わりは無いのだが、知人の結婚や不景気、寄る年波とでもいうものがジワジワと侵食してきて以前ほど楽しくは無くなってしまった。
祭りの日々が終わったというか。

病気知らずだった自分もどうも循環器系統が怪しくなって節制はしているものの不安が胸をよぎることが無いでもない。
こうなってくると、思い切り楽しめなかったりすること(も)あるのも確か。

それはともかく、ゼロ年代はそれなりに楽しかった。
私生活も食べたいものを食べ、飲みたいものを飲んだしアニメも映画も面白かった、面白く感じられた。今考えてみるとずいぶんと幸せだったのじゃないかと思う。
夜に車に乗って南大沢や新百合ヶ丘方面へ走るのはずいぶんと気持よかった。


ただ後半になって不景気の波で毎日がどんよりしてきたのも確か。
仕事も少なくなってきて気分も下向きにった。
しかし人生とは良くしたもので、なぜか成り行きで2010年に学校に通うことになった。
これはかなりのエポックメイキングで日々に張りが出てとても楽しかった。
正直、歯科技工士の学校なぞそんな難しいことをやるわけではなかったのだが、思ったより勉強できるじゃないか、という。
子供の頃から勉強が出来ないのには自信があったので、まったく面白かった。
ま、前回のブログでも書いたがろくでもない教師が多すぎたのかもな。
それはともかく気分が変わったことで世界が開けたのは確か。

周りの友人にも薦めたいのだがいかんせん金がかかるし、楽しくなかった場合の保証もできないので難しい。またこれは別の機会に。

英語の勉強に関しては着実に進歩してると思っている。
英文まる覚え法はしんどいが、かなり有効とみた。

 さて、進捗だが、まったく。
仕事が忙しいのもあるが鋳造環境とCGモデリングをどう噛み合わせたらいいのか、とっかかりが見えない。イタズラにZbrush等でモデリングをしてみても、宙ぶらりんになるだけだし。
それにデイジョブが妙にたてこんで、身体もしんどくなってきている。
そろそろ落ち着くとは思うのだが。




2014年3月28日金曜日

『アナと雪の女王』を見て。

 本当は『ローンサバイバー』を見たかったのだが、レイトショーでやっていないので評判がいい(ディズニーはたいてい評判がいいが)『アナと雪の女王』を見てきた。
大変素晴らしい出来で女子なら大喜びしてしまう内容だし、大変に感心した。

 とはいえ、「まぁ、見なくてもよかったかな」というのもある。
さすがに女子供向けの宿命かと。
が、しかし自分がいま『プリキュア』の劇場版をとてもじゃないが見れないだろうと想像すると、やはり格の違いを感じるか。
『レスキュアーズ・ダウンアンダー』から『リトルマーメイド』『美女と野獣』までの一連のディズニーの劇場アニメには大変驚いたものだけど、さすがにもお腹いっぱい、というか。
とはいうものの、この映画大変なセンスと才能の結集というか蓄積というか、昨日今日でマネできるものじゃぁないかと。
昔ながらのディズニーの伝統を活かしつつ更に進化したとでもいおうか。
この7,8年ほどの日本のオタク界隈からは生まれてこないパワーを感じる。
様々な経験や才能、技術が融合して生み出されているからだと思う。
比べるものじゃないんだけど、日本のアニメはとにかくファッショナブルじゃない。
関わっている人間がファッショナブルじゃないからしょうがないのだが。
いいかげん、戦車や飛行機や銃ばかり見ていないで別の方向を目指したほうがいいかと。
『艦これ』のみっともなさったらない(それが売れるんだからまた悲しい)。

 で、思いついたことを文章でまとめておくことにしたので、あれこれ書いてみる。

 昨今、技術のコモディティ化激しく、自分のわかる範囲で言えば『イラスト』がそれにあたるかと。80年代はマーカーとパステルでリアルな「カンプ」が描けるのがかっこよかったけど、それが今じゃ陳腐だ(笑)
 デジタルペイントの普及で色塗りのハードルがずいぶんと下がったように思う。
こうなってくると、誰もが手軽に高品質なイラストレーションを描くことができるようになってしまうので、イラストレーションに「価値」が無くなってしまうのだ。
手軽に構想を図にするということでは大いに価値があるけど、それで人の心に訴えたりすることの価値が低くなるというか。

 2Dの価値が低くなれば、次は3Dとなるわけで、Zbrushによるフィギュアなどの造形がみるみる広がっていく様は目を見張るものがある。
自分も追いついていきたいものだけど、なかなか…。
唯一、自分と相性の良かったアニメーションマスターの日本での対応が終わっていなければとも思うが。やっぱり1日に8時間くらいツールを使っていないとなかなか手につかないもので。

 さて、進捗だが仕事の忙しさ(というほどでもないのだが)でどうも。
はやりうちの中で何かに集中し続けることの難しさにお手上げ状態だ。

なにかうまい手はないものか…。


2014年3月23日日曜日

約20年前と英語と進捗と。

昔のこと

 『1995年』だとか最近90年代を振り返ることが周囲や自分の中で流行しているような。
果たしてあれから20年前後が経ったが、一体何が変化し、何が変わらなかったのか。
思えば、最近になって「あの頃」アメリカに渡って「名を挙げた」方々をちらほらと見る。
羨ましいような、そうでもないような。
松井博氏や奥山清行、その他CG関連の人たち。
当時(1995年)、日本の特撮界に嫌気をさして「あちら」に渡った人で日米の映画界の差異について本を出されてた方とかいらしたが、名前を失念した。
そのアメリカVFX業界もなかなか厳しいらしいと聞く。
とはいえ、アメリカは続々と新しいVFXツールを開発してくるし、対して日本はほぼ無策。なんら革新的なものを生み出すことができない現状。
技術的(総合的な)な差を感じる。まるで地方から都会を羨望する田舎者の気分だ。
日本の「ものづくり」の決定的な誤解は自分の手に余るのでおいておく。
「手先が器用」じゃダメなんだよ、くらいしか。


英語学習

 放送大学の授業を受講してるのだが中々に面白い。
訳文を解説してもらいながら文章を読むのが楽しい。
とはいえ英語が読めるようになってるか?と言われると「…」とならざるを得ない。
やはり量をこなすことが必要かとは思う。
しかし、思うことがあるのが『英文法AtoZ』を受講していて、結構覚えているもので現在完了だとか過去完了だとか。過去分詞の不規則動詞(だっけ?)もよく覚えていた。
にも関わらず英文解釈ができないのは一体なんなのか。
中学だけでも毎週、2コマか3コマぐらいは授業があったはずだ。年間にして100時間から150時間。
3年間で300時間ほぼ2,3ヶ月(睡眠時間含むw)を英語と共に過ごしたことになる。
これだけ費やして、英文に太刀打ち出来ないのは一体どういうわけか?

 これは間違いなく英語の授業、または教師らの怠慢だと思う。
まず、英文法。必要なのか?これ。
俺たち、日本語話すときに「過去形」とか気にするか?という。
なにか先人の考えた「意味のない枠」にとらわれすぎじゃないのか?
掛け算するときに順番を気にしたり。
思い出すのが中学校のときの小島(和)という呆れた先生がいて提出するレポートの題字の枠の寸法を守らせていた。呆れるよりほかはない。
ま、俺が過ごした中学の数学の先生、先の小島某、浅野某、もう一人田中某、実に無能そうな顔をしていたのを思い出す。おかげで中学の数学は散々だった。
今から考えると数学は中々に面白そうで人生に余裕があるならまた勉強し直したいぐらいだ。
数ⅡBくらいまではいけるはずだと思う。

よく
「うまくいかないのを人のせいにしてはいけない」
というが全くその通りで、なぜならば「奴らは悪いままだから」というのが後ろにつけるを忘れてはいけない。「奴ら」は反省もせず、涙も流さず、いつもどおり「悪いまま」飯を食い、電車にのるからだ。
「だから」
「自分を変えるしか無い」のである。
おっと話がずれた。
で、話は戻るが英語だ。
実はこれに関しては自分の中学の三橋某という教師が割りといいことを当時言っていた。
「授業時間を長くするよりも毎日短い時間でいいから英語に触れさしてくれ」
と。ま、わかってる人はいたのだ。
とはいえ、できない自分が代案を考える事ができるはずもないのだが、ただひとつ言える事は「興味」につきるだろう。
人間は多かれ少なかれ文字から情報を得ているのだから、興味のあることであれば難解な事柄でも障壁を越えて理解へ至るはずだ。
特に他の科目と違って英語は「日用品」である。
であれば、一人ひとり興味の向かう方向へ英語を沿わせていくしかないのじゃないか。
かなり大変なことではあるが。

 で、ようやく自分の話に戻るが去年、放送大学の『実践英語』と『英語圏の言語と文化』をとって今年初めに単位認定試験を受けたところ、『実践英語』がDで不合格だった。
ところが『英語圏の言語と文化』はCでなんとか合格。
ろくすっぽ勉強していなかったのに大したものだと思った。
不合格だった『実践英語』は試験問題は大して難しくなかったような気がしたものの、やはり覚えていなかったらしい(問題は簡単で英単語力を問うぐらいのもの、だと思う)。

ここに、ポイントがある。
実際の授業の難易度は明らかに『英語圏の言語と文化』のほうが高いのにそちらはなんとか合格したのは、なにより授業で取り扱う「ポストコロニアリズム」に関する書物があまりに興味深かったからだ。
ゼイディー・スミスやJ・M・クッツェー、ハ・ジン、その他。
まったく知らない世界を知った。
やる気のおきないのを無理してネット配信を教科書を開いて聞いてて思わず唸ったのを覚えている。

 それに比べて『実践英語』は昔からの名画のワンシーンの会話で英会話を勉強しようというもの。最初はこちらが面白そうだ、と思っていたのだが、案外につまらなくてびっくりした。
『カサブランカ』や『レベッカ』などなどいずれも好きなクラシック映画だったのだが、おそらくよく知っている世界だったからこそ、興味がわかなかったのかもしれない。
如実に試験結果に現れたのが面白い。

 試験は面白いもので、自分でそれなりに歯ごたえを感じて「やった」という感触があるとたとえ良い成績でなくても試験後の気分が爽快で、簡単そうで「こんなんだよな」などと適当にやると試験後の感触が極めて悪い。で、実際不合格だったのだから笑う。

 やはり、興味なのだ。
それがなければ何事も始まらないと言っても過言じゃないだろう。
興味が無いのに、大人たちがつくった規格に沿って勉強をして良い点をとった奴がイノベーションとかできるわけがない。この一点に尽きると思う。

進捗

ダメだねぇ。ようやくメタセコイアをインストールしたぐらい。去年の6月にあっというまに3Dデータを作って試験的に3Dプリントに発注したというのに。この体たらく。
やはり環境が整わないとダメか、という。

長くなったのでこれまで。

2014年3月18日火曜日

相変わらずの日々。

季節的に仕事がたてこんでしんどいのだが、数年前はもっと稼いでいたので身体が弱ったのかとか。

にしても、日々が相変わらず無為に過ぎていくのが辛いというほどでもないが、今日でいよいよ通っていた学校から離れて完全に1年がたつ。歯科技工士を片手間にやって小銭が稼げたら、という道は潰えたのは、まぁ、構わないのだが(片手間以上に手間をかける気は無い)かと言って、何か事が進んでるかというとそうでもないところが。

以前もこんな状態があったなぁ~、とじっとりと冷や汗が出てこなくもない。

どうもこう懸案事項が多いと映画を見るきにもならないのだが先日リメイク版の「ロボコップ」は実に良く出来ていた。なるほど、これならリメイクする意味があるというもので、実に現代的なテーマをうまく取り込んでおり絵空事でない現実を突きつけられる。

読んだ本は『ヤンキー経済』最近の地元に生きる若者像。
自分はこれの先駆だったね。考えてみれば。
天下国家を論ずる人からすると、いろいろまずいのだろうけど、そんなの若者の責任じゃないよなぁ?

さて、話を自分に戻そう。
「やりたい事」が確実にあるので、それに向けて行動を起こしたいのだが、果たしてどこから手をつけたらいいのか。(何をやるかは書かない)

先日もだらだらと書いていたが、
やはり、
1、CGツールで3Dモデリング
2,鋳造環境をどうするか

この2点か。
プログラミングの勉強もしたいが、去年のように焦点が定まらずなにもつくりあげられないだろう。ここはしばらく我慢か。

鋳造環境はなにかと金銭がかかりそうなので、現在できることといえば3Dプリンティング用のモデリングだけか。

ふむ、なんとなく方向性がしぼれてきたかもしれない。

もうちょっとかも。

今夜はここまで。

2014年3月13日木曜日

ツイッターを振り返って

う~ん、大したことをつぶやいていないな(いつもどおり)。
ところで元ソニーの辻野氏、ツイッターの対応はカッコ悪かった。
http://blogos.com/outline/82168/
いくらでも笑えるけど、そんなことをしてる場合じゃないので。

とにかく日々があっけなく無為に過ぎていくのが大変に困っている。
それでも去年まではなんとか机にかじりついて何事かしようとしていたのだが、増税前だのXPサポート終了などで忙しく日々なんやかんやの雑用にまぎれてその時間を作り出すことが出来ない。
また今年に入ってから青色確定申告で大きくつまずいた。
青色申告会などに入会したものの担当の方とどうも相性が悪くて行くのが億劫になってしまった。しかしあいつらの「おまえみたいな奴がなんで青色申告すんの?」という目線もしんどい。
これはどこかで言ってやりたいが、その人たちもおそらくは派遣の方々なので目くそ鼻くそか。

そうだ、自分のツイートで多いのが捨て猫、殺処分を待つペットたちのツイートだ。
これは本当にどうにかして欲しい事実。
殺処分のお金に自分の税金は一切回してほしくないな。ま、えばるほど収めてないけど。
イルカ、捕鯨、食肉のための屠殺。
見ないで考えないようにしていたことがインターネットのあるなしにかかわらず、どんどん可視化されてきている。人間の生活に潜む残酷さは耐え難い。伝統だろうが「命をいただく」だか知らないが、残酷は残酷なのだ。代替で済むならさっさとやめて欲しい。原発と同じだ。

ちなみに「伝統の」と何かが言い出したとき、その「モノ」には価値が無くなった事を意味するのだそうだ。明治のころに出来た単語だそうで。
たとえば漆器は樹脂製品が発達して安価に買えるようになった現在は無価値だ。
微々たる長所を売り込んで「伝統」といいつのり、人々に訴える。
「伝統」とはそういうものだと。

話がそれるが原発が廃止出来ない理由は簡単で「それで金をかせぐ地方の人々がいるから」にほかならない。ペットの殺処分が減らない決定的な理由は「ペットを売って稼ぐ人」がいるから。
細かいデータは知らないが、ちょっと考えればわかるだろう。
朝日新聞も「ペット業界に配慮して」という文言でペットに関する記事を書いている。明らかにロビー活動をしている人々がいるのだ。ペット商売を続けたい人たちが。
結論は言わないが、そういうことだ。

さて、机に向かう時間をどう捻出するか。
未だ思いつかない。このままだらだらと生き続けて死ぬかもしれぬ。
今日はここまで。

2014年3月9日日曜日

展望というか。

どうも愚痴ばかり書いてしまったので「これから」の事を書いていこう。
とはいえ学校を卒業して1年が経つわけだが、さっぱり何も展開しないのでちょっとつらいところではある。やはり、「動き」が無いと人間だめだなーと。
家にこもってウンウン考えこんでいても、事が運ばないな。

などと言ってはいても、やはり家で動きを起こすしかないのが現実。
どこかの工房を借りたりしたいところだけど先立つものが無い。

今ここでパソコンの置いてある机でいろいろ事を行ってきたのだけど家の中で場所を変えたらどうだろう?と思って先日台所の模様替えをしてみたのだが、効き目は出ていない。
どうしてもパソコンに向かってツイッターやらなんやらをしてしまう。

人間ってのは不思議なもので自分の問題を棚に上げて天下国家を論じてみたり、他人のいらぬ心配をさも得意げにしてみたりする。
そんなヒマがあれば英単語の一つを覚えたり腕立て伏せの10回でもやったほうがよっぽど幸せになれるはずだ。

そもそもが「目指す場所」が分散してしまっていて、あっちを手を付けたりこっちを手をつけたりで方向性が定まらない。
おのおのの勉強は無駄とまでは言えないが、「なにかプロダクトの完成」ということにまったくつながっていないのが辛い。

実はこうやってブログを書いてはいるのだが「何を」完成させたがっているのかはここにおおっぴらに書きたく無いというのもあって持って回った表現ばかりになるが、読者も大していないようなのでかまわないことにするか。

去年から手にかけてきたこと。

1、関節の作成→精密造形なので3Dプリンタを使いたい→鋳造原型に。
  ※そもそも鋳造で作成する必要はありか?
  ※レジンで作る際、型取りなどはどうなるか、ワックス原型で精密なものが作れるか?
  ※3Dプリンタで原型を作る際のCGツールいじるとか。

実はアクセサリーフィギュアを作ってみたいこともあって鋳造はやってみたいところなのだが、酸素ボンベやら鋳造器やらで10万ほどかかってしまいそうなところが痛い。
そんなこんなで止まってる。

2,C言語の勉強。これも「苦C」をかなり勉強したこともあってなかなか良かったのだが、しかしすぐに役立つツールとも言えない。考えていることもあるが。

3,英語の勉強。これは続けている。放送大学や英単語の本など、かなり効いてきていると思う。唯一順調といえるかも。とはいえこれもプロダクトの完成には直接関係ない物件。

とここまで書いてきて、なんとなく見えてきたことがあったようだ。
1の関節の作成の作業を詰めていけばもうちょっと有効な展開が望めそうか…な。
今夜はここまでにしておこう。

2014年3月7日金曜日

日々雑感2

うーん、日本のニュープロダクトが育たない件について自分の来し方を照らしながら書こうと思ったがさすがに手に余った。

あちこちで読むブログや記事にいらだちを覚えるものの、果たしてじゃぁ自分がどうするのか?と言われると無案では無いものの、ちょっと口ごもってしまう。

かれこれ90年代をクリエーターのかなり端っこで過ごしたことがあるのだが
「そりゃ、そうなるよな!」
と日本の現況を見て思う。
どんなに新しいアイデアを出しても、また目に見えない努力をしてみてもさっぱり報われないのだ。
自分(ら)の無能さにも原因はあるとは思うものの、ガラケーやiPhoneのマネっこ携帯を見るにつけ「ダメだこりゃ」と失笑せざるをえない。

結局10年ほど、あれやこれや、やってみたものの、まったく思うような状況になってくれないので2000年代を失意のままにすごしてしまった。
失意にしずんでるのは自分だけかと思ったら、日本中がみんな失意に沈んでいるのだから、どうしようもない。
結局、自分らが若かったころに提出したアイデアや努力に目上の人間たちが報いなかったことが原因じゃないか。言うことは聞くが、果てしなく凡庸で日々をなんの考えもなく過ごす人間を重用してきたことが原因だ。

とはいえ、今の日本は老人たちの国だ。
若者はブラック企業などという単語が表す通り安くこき使われ、将来になんの見通しもない。
お金がなければ時間もできない時間がなければ新しいこともできまい。
無知蒙昧なまま結婚して子供をつくり、そして今度はその子供のために目先のつまらない仕事に日々の時間を吸い取られていくのが現状だ。

どんなに新しい才能があっても時間や空間がなければ活躍できない。
時間や空間を有するにはお金がいる。

そのお金が無いのだ。

どうもなるわけがない。

2014年2月24日月曜日

バッファローのAOSSとNEC製パソコン修理代金について

AOSSについて
以前からAOSSには感心していなかったのだが、今日も関連でちょっとつまずいた。
無線LAN対応のキャノンのプリンタを設定していて、無線LANには接続されているのにプリンタが見つからないと出てしまう症状。
最初、AOSSの長すぎる暗号化キーがいけないのかと思って普通の暗号化キーにしてみたのだが、問題がそこではなかった模様。
おそらくバッファローの無線ルーターのどこかのポートが閉じてる問題だったのかも。
時間がなくて解決不可。
本当は追求したかったが「USB接続でいいよ」とお客さんの言葉があったので素直に変更。

お客さんと会話しながら進める作業なのでなかなかうまく行かないときはしんどい。

ま、それはしょうがないとして困ったのがこの時期(2007年頃製)のバッファローのルーターだ。
今みたいにSSIDと暗号化キーの表記がなくAOSSでの接続しか対応しておらず、ルーターにログインして設定を変えようにもAOSSを切らなければいけなかったりしてかなり煩雑。
またログインすると勝手にインターネットの接続を確認しにいくので少々待たなければいけないという。また、いつぞやの製品では接続する機器と50cm以内に置いてくださいという指定があり、なおかつルーターにログインするとインターネットの確認をしにいったりでふんだり蹴ったりだった(大概、インターネットのモデムが1Fにあって2Fでつなげるために無線にするわけだから50cm以内という要求がいかに馬鹿げてるか。
結局、評判が悪いのをさとったのかバッファロールーターは最近はちゃんとSSIDと暗号化キーを標準で本体に表記している。
とはいえバッファローの無線ルーターにはもう懲り懲りというところでよっぽど安くない限りはお客にすすめないし自分でも買わない。

パソコンの修理代金について。

NEC製のノートパソコンのバックライト故障で修理に出したらおおよそ6万円台の回答。
めちゃくちゃかと。
おまけに修理しない場合でもキャンセル料として3900円かかる。
某個人で修理を請け負ってるところだと14700円から。
バックライトの陰極管を取り替えれば済むということらしい。
東芝PCは液晶が故障したとき壊れた接続部分のみを取り替えるということをしてくれて1万円台の修理代金、お店の延長保証を使って無料で済んだようだ。

話は戻るがこの修理代金の設定だがメーカーはほとんどお客への嫌がらせとしか思えない。
修理は現実的ではない値段だし、キャンセル料は取る。
これってメーカー側がそんな目にあったらどう思うかちょっとでも考えているのだろうか?
これに関してはどんな言い訳も聞けない。
ご年配のPCユーザーにとって環境が変わるというのは一大事なのだ。
なるべくなら同じパソコンを使い続けたいというのが本音だ。

あまりにも工夫のないやりように、ため息が漏れる。
「できない」から「できない」では済まないのじゃないか?
そこを工夫するのが仕事なのじゃないのか?という。

ところでこのかかるキャンセル料は業者の自分が負担することになっている。
NECの商品はもうお客にすすめないだろうな。

いわゆる起業について

金も気力もないので今のところ関係無い話だが面白いコラムを見つけたのでURLを。
「スタートアップを殺す18の誤り」
http://www.aoky.net/articles/paul_graham/startupmistakes.htm

なるほどと思うのもあれば、「そうなんだ!」という部分あり。

その内の一つ
6、マズいプログラマを雇う
「コードが書ける人が大概起業するので今まで見過ごされてきたが」
と前置きされ「使えるプログラマーを見つけるのはかなり難しい」と。
これは自分もちょっと経験がある。
いちいち例をあげられないのだが、大概のオタクがあてはまる。
いっぱしの評論家ではあるが、いざ何かを創りだそうとする際、無能をさらけだしてしまうという。自分にもそういった部分があって経験がある。
とにかくプログラマーはわからない。

次に
「7、間違ったプラットフォーム選び」
これは前述の「まずいプログラマー」を雇った際に起こる問題だという。
Windowsベースのサーバーを選ぶプログラマーはマズいプログラマだそうな。
これも思い当たる過去が…。

これに関しての結論なのだが、
「なにかをしたいと思うのならば」
自分である程度は勉強しなければいけないということかと。
自分の貧弱な知識ではこれくらいしか結論が出せない。


他には
2,立地のまずさ
3,小さなニッチ

とある。
要するにシリコンバレーで起業しろ、ということらしい。
行けるか!w

3,小さなニッチ
これは意外だった。
競合を避けて小さすぎる問題を相手にしてはいけない、という。
具体例がわからないのでなんとも言えないが。

8、遅すぎる起動
これは耳が痛い。
人間はなにかを遅らせるために永遠とも言える言い訳を紡ぎだすことができる。
さっさと手放し、リリースせよ、と。

10、あいまいなユーザー像
自分の頭のなかだけでなくユーザーの意見に耳を傾けろ、と。
しかし、これもユーザーに振り回される原因ではないのか?

11,12,13、資金について。
多すぎても少なくてもダメという。
正直、誰かの懐を頼りに何かをするなんて危険すぎると思う。
起業なんてやっちゃいかんということだね。

14、そして投資家の管理
これに時間がどんどん持っていかれるということだ。
無駄すぎる。

他にもいろいろ耳の痛い話がつづくのだが、結論からいうと「起業」はあまりに不確実で(特に資金)成功率が低い。この部分をこそ国がなんとかすべきだと思うが、今度は福祉メンタリティーの危険が出てくる。

いやはや、難しいものだし、常人ではとてもじゃないがムリであろうと。

ただ結論としてプログラミングと英語の勉強だけはどんなに年がいってようとも始めるべきだし、続けておいた方がいい思う。

2014年2月23日日曜日

パソコンあれこれ。

X-アプリをよく設定するのだが、やたらと泣かされる(というほどじゃないんだけど)。
これはX-アプリに限ったことじゃないけど参ったのがこれ↓
http://gigazine.net/news/20140216-high-dpi-lifestyle-painful/
高解像度ディスプレイとそれに対応しない古いアプリケーションの問題。
おおよそマイクロソフトのアプリケーションは対応済らしくキレイに表示されるが高解像度を想定して作っていない古いアプリケーションは猛烈な小ささで表示されてしまうという問題。
記事では実感できないけど米粒の半分ほどの文字の大きさを見たときには泣きたくなったね。
結局2600*1900などという解像度はやめて1280*900ほどの解像度に下げてそれにあったアイコンの大きさに変更した。

X-アプリはその他ウィンドウズのアップデートがかかった後に権利情報を格納してるファイルが壊れるという、ちょっとそれってどうなの?という。
アンインストールはCommonFiles下のアンインストーラを起動して行うのが確実らしい。
Lismoだとかネットダウンロードから購入した音楽が入ってたらアウトらしい。
ソニーは何を作ってもヘボいなぁ。もっと普通にアプリケーション作った方がいいのでないかとか。いちいちソニーらしさを誤解した方向へ持っていってると思う。パズルみたいなダンボールの緩衝材を作ってみたり。

ウィルス対策について。
最近はマイクロソフトのセキュリティエッセンシャルズやWindows8のWindowsDefenderで十分かと。わざわざお金を払ってパスワード作ってみたり、NTTのフレッツウィルスクリアはIPv6に繋がないと更新できなかったり、マカフィーに至ってはOfficeの認証を阻んでみたり、めんどくさいことやめようよと。
ユーザー本位ではなくあくまでも自分の都合のためだけの商品が多いよね。
その割に迷惑なニセウィルス対策ソフトとかは阻まないし。
まぁ、理由がいろいろあるんだろうけど「なんだかなぁ」と思うこと多し。

他にも筆ぐるめのファイル保存場所問題やDatabaseフォルダに自分でファイルを入れると起動がやたらめったら遅くなるという奇っ怪な現象とかもあるけど、それはまた気が乗ったら書くことにしよう。おそらく読む人いないだろうし。

人工筋肉とガラカー

車の話題。
根本的に車に興味は無く、モーターサイクル好きな方々の気持ちがわからない。
で、テスラのモデルS。
http://gigazine.net/news/20131121-tesla-model-s-tms2013/
欲しいですな。年収一千万超えてたら買う(とてもじゃないが超えないw)
いわゆる電気自動車なのだけど出来がまるで違う。
日本の「なんだか一般向けのやすっぺー電気で動く車」
と一線を画す出来。
EVというだけでなく全体をまとめ方がうまい。
ディスプレイのコンソールであるとか、車のデザインも破綻なし。
航続距離も400kmくらいはいくらしい。
また充電設備を無料で設置する予定という。
日本の車産業はあっという間に衰退するかもしれない。

燃料電池車など、一体なんのメリットがあって大金を投じているのか。
水素なんて取り扱いが難しそうなのは素人考えでもわかりそうなものだし。
電気か空気圧搾で十分動力として問題無いじゃないか。


日本のものづくりに何が足りなくてああなってしまうのかわからないのだが嫌な予感しかしない(日本人にとって)車の登場だと思う。

数年後には「ガラカー」とか日本の車は言われてるのじゃないか。

人工筋肉について。
どうも日本ではロボット開発を志向する方々からまったく人工筋肉の話題が出てこなくて大変に不安なのだが、ロボットが人間社会に役立つには間違いなく人工筋肉の実用化が必要。
モーターやギアでは人間の代わりを務めるようなロボットは完成しないと言い切れる。
映画『アイ・ロボット』を見るまでもなく普通に考えれば当たり前のことだと。
今、Googleがロボットベンチャーをやたら買収してるがどこを目指しているのか。。
人工筋肉の実用化を考えていたら大変に恐ろしいことになると思うがさすがにそれはなさそうな雰囲気。

で、下記の記事。
http://gizmodo.com/muscle-made-from-fishing-wire-is-100x-stronger-than-you-1527241129
釣り糸をよじるとコイル状に丸まっていくが、それに温度変化を加えるとなんと伸びたり縮んだりするらしい。これは今までのやたら小難しい貴金属を触媒に使ったりニッケルチタンなどと扱いにくい金属を使うよりよっぽど安上がりで実現性が高いかと。
アメリカのテキサスだかのレイ・バーマンという博士の研究所で思いついたものらしいが。
アイデア自体はほんとに子供の手慰みから始まったようなバカバカしいアイデアだが、まったくびっくりするような結果だと思う。
この発見の凄さにみんなに気づいて欲しいような欲しくないような。


2014年2月21日金曜日

日々雑感

物を買えば返品に(こっちが悪かったりあっちが悪かったり)、作業をすれば妙なところでひっかかる。というわけで慎重さが求められる今日このごろ。
ELECOMのマウスは二度と買わないぞ。
返品受付てくれたツクモネットショップとトナカイ便には感謝かな。

さて、それにしても困ったものだ。
歯科技工士の資格はとったものの案の定、技工所での仕事は肌に合いそうにないので
従来のパソコンサポートを続けている。
学校は義理やら思うところやら複合的な理由で通い、なかなかに面白かったのだが
投資を回収するとまでは行かなかったようだ。
とはいえ学校に通うという体験はいろいろ自分の可能性を感じるところが
たくさんあり「まだまだイケるじゃないか」
という希望が芽生えたのも確か。
いま注目している中島聡氏によればアメリカでは年をとっても学校に行き
学びなおして再チャレンジするのはあたりまえのことだという。
それはともかく、技工所は何件か見学させていただいたものの
「この人達と四六時中一緒にいるのは嫌だなぁ」
という人たちばかりでさっさとあきらめてしまったのだ。
90年台前半にアニメーターをしばらくやっていたことがあったのだが
それに近い感触を感じたのだよなぁ。

それはともかくそれでも去年はありあまる時間をほんのちょっと使いC言語やら
英語の勉強ができたのは良かった。何かに拘束されているわけではないので微々たる
ものであったが。

儲かるか儲からないかはともかく今年は技工の技術を使ってアクセサリだかフィギュアだかを
「作って売る」という行為をしないと税金対策にもならない。
本当の目標は「素体づくり」にあるのだがここでネタばらしをしても始まらないのでやめておく。
とにかく「場所」が欲しい。

今から考えると学校に通っていたときに馬鹿正直にカービングの練習なぞしないで施設を
思い切り使い倒してやればよかったと思う。
ま、トラブったろうけど。
自分のやりたいことはいつでもはっきりと「ある」のだが、それを周りの人たちに説明するのが
実に面倒なのだ。話して「はぁ?」みたいな顔をされるとさらにモチベーションが下がる。
生まれたてのアイデアは非常にひ弱だ、とはジョブズの言葉だがその通りで、アイデアが破壊されるようなら自分の心に閉まっておいたほうがいい。
おそらくそうしてなされなかったイノベーションが山ほどあるに違いない。

それにしてもここのところ、消費税アップやらXPのサポートが切れるとかでパソコン関係の電話がはなはだ多い。儲けに直結しにくいので愛想も尽きかけるというところだ。

2014年2月20日木曜日

ツイートより。

ツイッターで思いついたことをネタにしてまとめておこうという。

1、ツクモのネットショップでSSDをmSATAのを間違えて買ってしまう。
いちお、返品は受け付けてくれた。640円返送料かかってしまうが、無理して変換コネクタ買うよりましか。勉強になりましたよ。

2、放送大学の「実践英語」試験不合格。
あれー、そんなにはずしたか?(ギャンブルか)
勉強してなかったからなー。とにかく英語に接するのが目的なのでいいのだ。
とはいえ「英語圏の文化と言語」はCでなんとか合格。
実は講義内容は英語圏の言語と~の方が圧倒的に面白かった。
ついでに受講した科目なのだが、ポストコロニアリズムをテーマにゼイディー・スミス、JMクッツェー、トニ・モリスンなど全く知らない作家が様々な視点で世界を描写しており世界が広がった。
正直「実践英語」はクラシックムービーをテキストに英語を勉強するというもので映画が好きだからということで受講したものの気をひかれることはなかったなぁ。
世の中わからんものだ。
しかし不合格とは甚だ不愉快ではあるなぁ。

3,忙しい、というか電話が多い。多すぎる。即お金につながるわけでもないのでちょっとなー。
ま、仕方もない。

4,パソコン廃棄のラベルが届く。ダンボールとかは自前で用意せよと。

5,そうだPentium4マシンにUbuntuをインストールしたのだが思ったより速くないし、やっぱりわからないしで、挫折中。どうしたものかなぁ。

6、考えていることがさっぱり進まなくて困っている。
場所が欲しい。ひたすらに。ゆるやかな監視のある場所が。

2014年2月19日水曜日

過去の投稿をみて。

過去の投稿に2007年ごろに絵心を復帰させようとしてあれこれ描いているものが実に無残だ。
結局面白くなくてやめてしまったのだった。
早い話、なにも描写したいものが無かったということで
ひたすら、写真を参考にいい加減なものを描いているとこうなるということか。
とにかく場所が必要ということだけは判明したのだが
何かに熱中させてくれる場所が無いのだよなぁ。
ある程度自由を拘束してくれる場所が欲しい。

2014年2月18日火曜日

復帰(何度目かの)

さて、2014年になってしまった。
この何年かあれこれ迷走続けていてどこにも落ち着かずにいる。
ツイッターの発言をもとにまたブログを始めてみようと思っている。