2014年3月23日日曜日

約20年前と英語と進捗と。

昔のこと

 『1995年』だとか最近90年代を振り返ることが周囲や自分の中で流行しているような。
果たしてあれから20年前後が経ったが、一体何が変化し、何が変わらなかったのか。
思えば、最近になって「あの頃」アメリカに渡って「名を挙げた」方々をちらほらと見る。
羨ましいような、そうでもないような。
松井博氏や奥山清行、その他CG関連の人たち。
当時(1995年)、日本の特撮界に嫌気をさして「あちら」に渡った人で日米の映画界の差異について本を出されてた方とかいらしたが、名前を失念した。
そのアメリカVFX業界もなかなか厳しいらしいと聞く。
とはいえ、アメリカは続々と新しいVFXツールを開発してくるし、対して日本はほぼ無策。なんら革新的なものを生み出すことができない現状。
技術的(総合的な)な差を感じる。まるで地方から都会を羨望する田舎者の気分だ。
日本の「ものづくり」の決定的な誤解は自分の手に余るのでおいておく。
「手先が器用」じゃダメなんだよ、くらいしか。


英語学習

 放送大学の授業を受講してるのだが中々に面白い。
訳文を解説してもらいながら文章を読むのが楽しい。
とはいえ英語が読めるようになってるか?と言われると「…」とならざるを得ない。
やはり量をこなすことが必要かとは思う。
しかし、思うことがあるのが『英文法AtoZ』を受講していて、結構覚えているもので現在完了だとか過去完了だとか。過去分詞の不規則動詞(だっけ?)もよく覚えていた。
にも関わらず英文解釈ができないのは一体なんなのか。
中学だけでも毎週、2コマか3コマぐらいは授業があったはずだ。年間にして100時間から150時間。
3年間で300時間ほぼ2,3ヶ月(睡眠時間含むw)を英語と共に過ごしたことになる。
これだけ費やして、英文に太刀打ち出来ないのは一体どういうわけか?

 これは間違いなく英語の授業、または教師らの怠慢だと思う。
まず、英文法。必要なのか?これ。
俺たち、日本語話すときに「過去形」とか気にするか?という。
なにか先人の考えた「意味のない枠」にとらわれすぎじゃないのか?
掛け算するときに順番を気にしたり。
思い出すのが中学校のときの小島(和)という呆れた先生がいて提出するレポートの題字の枠の寸法を守らせていた。呆れるよりほかはない。
ま、俺が過ごした中学の数学の先生、先の小島某、浅野某、もう一人田中某、実に無能そうな顔をしていたのを思い出す。おかげで中学の数学は散々だった。
今から考えると数学は中々に面白そうで人生に余裕があるならまた勉強し直したいぐらいだ。
数ⅡBくらいまではいけるはずだと思う。

よく
「うまくいかないのを人のせいにしてはいけない」
というが全くその通りで、なぜならば「奴らは悪いままだから」というのが後ろにつけるを忘れてはいけない。「奴ら」は反省もせず、涙も流さず、いつもどおり「悪いまま」飯を食い、電車にのるからだ。
「だから」
「自分を変えるしか無い」のである。
おっと話がずれた。
で、話は戻るが英語だ。
実はこれに関しては自分の中学の三橋某という教師が割りといいことを当時言っていた。
「授業時間を長くするよりも毎日短い時間でいいから英語に触れさしてくれ」
と。ま、わかってる人はいたのだ。
とはいえ、できない自分が代案を考える事ができるはずもないのだが、ただひとつ言える事は「興味」につきるだろう。
人間は多かれ少なかれ文字から情報を得ているのだから、興味のあることであれば難解な事柄でも障壁を越えて理解へ至るはずだ。
特に他の科目と違って英語は「日用品」である。
であれば、一人ひとり興味の向かう方向へ英語を沿わせていくしかないのじゃないか。
かなり大変なことではあるが。

 で、ようやく自分の話に戻るが去年、放送大学の『実践英語』と『英語圏の言語と文化』をとって今年初めに単位認定試験を受けたところ、『実践英語』がDで不合格だった。
ところが『英語圏の言語と文化』はCでなんとか合格。
ろくすっぽ勉強していなかったのに大したものだと思った。
不合格だった『実践英語』は試験問題は大して難しくなかったような気がしたものの、やはり覚えていなかったらしい(問題は簡単で英単語力を問うぐらいのもの、だと思う)。

ここに、ポイントがある。
実際の授業の難易度は明らかに『英語圏の言語と文化』のほうが高いのにそちらはなんとか合格したのは、なにより授業で取り扱う「ポストコロニアリズム」に関する書物があまりに興味深かったからだ。
ゼイディー・スミスやJ・M・クッツェー、ハ・ジン、その他。
まったく知らない世界を知った。
やる気のおきないのを無理してネット配信を教科書を開いて聞いてて思わず唸ったのを覚えている。

 それに比べて『実践英語』は昔からの名画のワンシーンの会話で英会話を勉強しようというもの。最初はこちらが面白そうだ、と思っていたのだが、案外につまらなくてびっくりした。
『カサブランカ』や『レベッカ』などなどいずれも好きなクラシック映画だったのだが、おそらくよく知っている世界だったからこそ、興味がわかなかったのかもしれない。
如実に試験結果に現れたのが面白い。

 試験は面白いもので、自分でそれなりに歯ごたえを感じて「やった」という感触があるとたとえ良い成績でなくても試験後の気分が爽快で、簡単そうで「こんなんだよな」などと適当にやると試験後の感触が極めて悪い。で、実際不合格だったのだから笑う。

 やはり、興味なのだ。
それがなければ何事も始まらないと言っても過言じゃないだろう。
興味が無いのに、大人たちがつくった規格に沿って勉強をして良い点をとった奴がイノベーションとかできるわけがない。この一点に尽きると思う。

進捗

ダメだねぇ。ようやくメタセコイアをインストールしたぐらい。去年の6月にあっというまに3Dデータを作って試験的に3Dプリントに発注したというのに。この体たらく。
やはり環境が整わないとダメか、という。

長くなったのでこれまで。