2014年3月13日木曜日

ツイッターを振り返って

う~ん、大したことをつぶやいていないな(いつもどおり)。
ところで元ソニーの辻野氏、ツイッターの対応はカッコ悪かった。
http://blogos.com/outline/82168/
いくらでも笑えるけど、そんなことをしてる場合じゃないので。

とにかく日々があっけなく無為に過ぎていくのが大変に困っている。
それでも去年まではなんとか机にかじりついて何事かしようとしていたのだが、増税前だのXPサポート終了などで忙しく日々なんやかんやの雑用にまぎれてその時間を作り出すことが出来ない。
また今年に入ってから青色確定申告で大きくつまずいた。
青色申告会などに入会したものの担当の方とどうも相性が悪くて行くのが億劫になってしまった。しかしあいつらの「おまえみたいな奴がなんで青色申告すんの?」という目線もしんどい。
これはどこかで言ってやりたいが、その人たちもおそらくは派遣の方々なので目くそ鼻くそか。

そうだ、自分のツイートで多いのが捨て猫、殺処分を待つペットたちのツイートだ。
これは本当にどうにかして欲しい事実。
殺処分のお金に自分の税金は一切回してほしくないな。ま、えばるほど収めてないけど。
イルカ、捕鯨、食肉のための屠殺。
見ないで考えないようにしていたことがインターネットのあるなしにかかわらず、どんどん可視化されてきている。人間の生活に潜む残酷さは耐え難い。伝統だろうが「命をいただく」だか知らないが、残酷は残酷なのだ。代替で済むならさっさとやめて欲しい。原発と同じだ。

ちなみに「伝統の」と何かが言い出したとき、その「モノ」には価値が無くなった事を意味するのだそうだ。明治のころに出来た単語だそうで。
たとえば漆器は樹脂製品が発達して安価に買えるようになった現在は無価値だ。
微々たる長所を売り込んで「伝統」といいつのり、人々に訴える。
「伝統」とはそういうものだと。

話がそれるが原発が廃止出来ない理由は簡単で「それで金をかせぐ地方の人々がいるから」にほかならない。ペットの殺処分が減らない決定的な理由は「ペットを売って稼ぐ人」がいるから。
細かいデータは知らないが、ちょっと考えればわかるだろう。
朝日新聞も「ペット業界に配慮して」という文言でペットに関する記事を書いている。明らかにロビー活動をしている人々がいるのだ。ペット商売を続けたい人たちが。
結論は言わないが、そういうことだ。

さて、机に向かう時間をどう捻出するか。
未だ思いつかない。このままだらだらと生き続けて死ぬかもしれぬ。
今日はここまで。